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「くじら畝須の石灰蒸し」と「くじらづくし」
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原口良子展~美しい布、インドの手仕事を染める~
【会期】 3月23日~3月27日
【時間】 9時30分~17時30分
【開場】田川市美術館 中央展示室
【会期】 3月23日~4月10日
【開場】田川市 あをぎり

ビデオ「旅する布」
会期中に会場(田川市美術館、あをぎり)にて上映
「このテーマは、踊り手「香春(かわら)」氏が私の作品をみて考えてくださったものです。遠くインドで生まれた布が、東京そして私の故郷福岡、田川まで辿りつく。ロケーションは田川産業株式会社の石灰を経糸とみなし、時には田畑、神社、自然界と織りなされていきます。踊りの現場は1場面ごとに、全く違う劇場へと変化してゆき、布が踊り手「香春」氏と共に共生し命を紡ぎ出していきました。撮影は長年香春氏を撮り続けてきた新(あらた)氏によるものです。新氏のレンズを通して、静、動、光、影そして音が美しい三次元映像として迫ってきました。ぜひ皆様、このビデオ「旅する布」を合わせて御鑑賞ください。」 sind 原口良子

香春 プロフィール
福岡県出身。田中泯主宰のダンスパフォーマンスグループの創立メンバーとして参加し、国内外での多数の舞台に出演。屋内屋外を問わず様々な場所をダンス空間にする独自の身体表現を展開している。
「旅する布」
企画・踊り 香春
撮影・編集 新達也
衣装 原口良子
制作・プロデュース 有限会社シンド
協力 「あをぎり」母里勤子/田川産業株式会社/リチャード フレイビン
関連イベント

「香春岳踊る」- 香春独舞 in 香春神社
場所:香春神社
日時:2011年3月20日
開場:17時30分 開演:18時
入場料:1,000円(チケット)
カテゴリー: Art&Language, お知らせ
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お石灰蒸し料理 on YouTube
ユニークな蒸し料理、あをぎりの「お石灰蒸し料理」のムービーを撮影していただきました。
イラストや図解では伝えられなかった雰囲気をお確かめください。
おいしい味わいはネットではなく御座敷で、ぜひ「あをぎり」でご堪能くださいませ。
カテゴリー: 料理
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「くじら畝須の石灰蒸し」と「くじらづくし」

あをぎり特製「くじら畝須の石灰蒸し」と「くじらづくし」
7,000円
●おばいけ
●しぐれ煮
●珍味盛り合わせ(ベーコン・さえずり・豆わた)
●鯨ユッケの軍艦巻き
●畝須の石灰蒸し
●くじらのはりはり椀
●茶碗蒸し
●鯨のステーキ
●鯨珍味を添えたサラダ
●鯨の唐揚げ
●ボタ山カレー
●季節のデザート










<写真の石灰蒸し料理は2〜3人前>
カテゴリー: 料理
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年末年始のご案内
2010年12月27日〜2011年1月3日まで休業。
2011年は1月4日(火)から営業致します。
2010年はお世話になりました。
おかげさまであをぎりは「登録有形文化財」に認定されました。
2011年もよろしくお願い致します。
カテゴリー: お知らせ
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あをぎり登録有形文化財に指定
2010年12月10日・国の文化審議会(文科相)が答申した建造物8件(福岡県)が登録有形文化財に指定されました。
建物の概要
「料亭あをぎり」は田川市新町の東方の小高い住宅地に立地する。敷地には石垣が築かれ周辺より一段高くなり、樹木を介して遠方から建物が移管を望むことができる。
東西に長い敷地の北半西側に本館・新館の2棟の建物が建てられ、その他の関連するものが西側に付属する。本館は大正3年(1914)の建築と伝える。南側を木造二階建入母屋造桟瓦葺、北側を木造平屋建寄棟造桟瓦葺とし建物外観に変化をつける。建物南端に下屋を差掛けた玄関があり、ここを入ると右手に六つの部屋が配置される。室内は十畳敷と八畳敷の部屋を組み合わせて整列させ、東西を廊下で挟み、部屋の一番奥に床の間が設けられる。建具を取り払うと、54畳敷の大空間が確保される。建物全体は質素ではあるが、民家の流れを汲む間取と伝統的技法を用いた質の高い造作が見られる。
木造二階建入母屋造銅板葺の外観を有する新館は、昭和9年(1934)の建築当時、銅御殿と称されていた。本館とは廊下で繋がり、一階に控えの間と座敷がセットになった三つの接客空間が確保され、二回には15畳と12.5畳の二部屋からなる大広間が設けられる。天井を折上格天井とし蟻壁を設ける室内は、一部に数寄屋風の意匠を取り込みながら、書院造りの流れを汲む伝統的な技法でまとめられている。西側に設けられる一間幅の廊下からは市街地が一望でき、さらに奥に続く角部屋は室内意匠と眺望に優れ、接客用に特化した、この建物の頂点に位置する造作を有している点が興味深い。
大正3年(1914)に建築された住宅を、林田春次郎が住宅として購入し、昭和9年(1934)に新館を北側に建設、現在のような姿になった。林田春次郎は市制施行後の昭和18年(1943)、田川市の初代市長となった人物である。
その後、現所有者が昭和51年(1976)から当地で旅館業を営み、平成5年(1993)には「料亭あをぎり」と称し、その後割烹専用に活用され、現在に至っている。
「料亭あをぎり本館・新館」はこの地域に現存する近代和風建築のなかでも、最も優れた意匠と外観を有する建築の一つであり、当時の田川の繁栄を今に伝える建築として、また失われつつあるこの地域の歴史的景観の中で貴重な存在となっている点が評価される。
カテゴリー: お知らせ
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秋の講演会3部作終了
おかげさまであをぎり秋の講演会3部作が終了しました。
第一部:「我がまちの世界遺産・世間遺産」では、講師に藤田洋三先生を迎え、田川や同じ炭坑町の世間遺産や、石灰などについて解説。
第二部:「佐藤慶太郎伝」では、講師に斉藤泰嘉先生を迎え、石炭の神様と言われた佐藤慶太郎について解説。
第三部:「登録有形文化財について」では、講師に藤原恵洋先生を迎え、あをぎりが今年認定を目指して申請した登録有形文化財と、あをぎりの空間的・建築的な解説。
今回の講演は、あをぎりが「登録有形文化財」認定に向けて動き出したこと、あをぎりが建つ筑豊田川市のことを広く知ってもらう為に企画されました。
何気なく生活している我がまちに、スポットを当てれば輝く世間遺産・石炭産業が生んだ功績・そしてあをぎりという建築。
我が炭坑町に自信と誇りを感じる講演会3部作となりました。
また、3部作全てに直方(人力車の生みの親のふるさと)から人力車がやってきて、伊田や後藤寺のまちを駆け抜けました。

講演していただいた先生方、筑前直方人力車の皆様、そしてご来場いただいたお客様、誠にありがとうございました。

あをぎりが登録有形文化財に認定された日には、皆さんでお祝いをしたいものです。
佐藤慶太郎伝 斉藤泰嘉先生
あをぎり秋の3部作
佐藤慶太郎伝 講師:斉藤泰嘉先生
あをぎり/アイアートレボスタッフレポート
あをぎりが国指定の登録有形文化財に手を挙げて、認定に向けて盛り上げる為に企画された本講演会は、今回で2部目。
第一部は藤田洋三先生による「世間遺産」。
大衆文化や庶民の生活の中にある素晴らしい財産にスポットを当てた素晴らしいお話でした。
そして今回の第二部は北九州若松の石炭商「佐藤慶太郎伝」
石炭商?石炭の神様?さて、佐藤慶太郎とはどんな人物だったのでしょうか。

〈北九州は本城生まれ〉
福岡県遠賀郡折尾本城町。現、北九州市八幡西区本城。
大庄屋の家系に生まれ育ったがその生活は貧しく、小学生時代は病弱だったが蝋燭の原料となるハゼの実を拾って集め、病気の母の薬代を稼いだこともあった程。
学業優秀だった慶太郎は、修 館に合格。だが家には払える学費がなかった。しかし親戚中を訪ねて自力で学資を出してもらう約束をとりつけ、勉学に励んだ。
〈石炭との出会い〉
その後、またも資金援助にて上京し、法律家を目指した慶太郎。
健康状態が優れないまま九州へ戻り、ぶらぶらしていた慶太郎に親戚の医者が「理屈じゃなかたい」と方向転換を促した。
意思の忠告と相前後して「若松の山本周太郎という石炭商の店から、番頭のつとまる人を世話して欲しいと頼まれている。どうだ、ひとつ方向を換えて実業に従事してみては」と勧めてくれる人も現れ、佐藤慶太郎はついに肚を決めた。
明治二十五年五月一日、若松第一の石炭を売り捌く石炭商、山本商店の門をくぐった。
〈結婚と誓い〉
山本商店山本周太郎の妻かた子の妹俊子との結婚を勧められた慶太郎は、結婚を承諾した。
十代の頃から山本商店の帳場に座っていつしか店を仕切るようになっていた妻俊子は、慶太郎の先生となり慶太郎を支えた。
新婚の夜、「一つ、楽をしようとは思わないこと。二つ、住居に望みは言わないこと。三つ、給料を目当てに働かないこと。この信念に従って僕は商売に励む。お前さえ僕を信じてくれるなら、必ず大成して見せる」と誓った。
更に給料を辞退した。これは信用と言う無形の財産を築く目的であった。
〈石炭を知る〉
百聞は一見に如かず。商品である石炭を研究しようと、炭坑に脚を運んでは坑内にまでさがった。
「過酷な労働の代償として掘り出された貴重な石炭。そうであれば、ひとかけらも残さずに消費者の手に渡るようにすることこそ石炭商の役割ではないか」信用という財産を築く。佐藤慶太郎を表す言葉の一つであると思う。
〈独立〉
山本商店から独立し、姓も佐藤に戻し、佐藤商店を開業。
その頃、筑豊では下等とされる大隈炭の特徴に目を付けた。
火持は良くないが、瞬時に火力が上がる大隈炭は、捕鯨とつながった。
捕鯨の船は、鯨を発見すると全速力で追尾する。大隈炭は一時的に強く燃え上がり、船に瞬発力を与える。
大隈炭は他の石炭が売れ行き不振の中でも、捕鯨業者からの注文が殺到し採掘が追いつかないほどになった。
佐藤商店は成長を遂げて行った。
〈カーネギーとの出会い〉
東京土産にもらった「立志の師表 成功の模範 カー子ギー」
世界の鉄鋼王と呼ばれたアンドリュー・カーネギーは、貧しい中から身を立てた人物で、後に全米の鉄鋼生産の約半分を占める程の大企業に成長した。実業界を引退したカーネギーは、カーネギーホールに代表されるように社会事業に専念した。
慶太郎はカーネギーを終生尊敬した。
〈炭鉱経営と上京〉
慶太郎四十一歳の時、ついに炭鉱経営に乗り出す。
質量ともに良質の炭層にも当たり、従業員千名を越す炭鉱へと成長した。
全国石炭鉱業連合会結成に向けての動きに際し、上京した際に目にした時事新報。
その記事にあったのが「常設美術館」である。
当時西洋諸国には一国の文化芸術を代表する常設美術館があるのに、日本には常設美術館は無かった。
早速、東京府知事を訪ね、常設美術館建設費の寄付を決めた。
〈日本のカーネギー・石炭の神様〉
「金銭蓄積以外、使用することを考へぬ人に取つては、私のやり方が不思議に思はれやうが、私からみれば、左様な人は、何のために働いたか、何のために金を儲けたか、寧ろ不思議に思ふのである」
佐藤慶太郎は東京府立美術館建設費のみならず、別府市美術館や佐藤新興生活館などの設立に寄付し、遺産はすべて社会事業に寄付すると遺言を残して享年数えで七十三歳で旅立った。
その後東京府立美術館は東京都立美術館と名前を変え、現在の3代目に至っている。
日本の美術活動において、忘れることのできないことである。
あをぎり/アイアートレボスタッフ山本のコメント
斉藤先生のご講演と、著書「佐藤慶太郎伝」から簡略にまとめました。
佐藤慶太郎氏の人物と、その志に感動すると共に、調査研究を進めた斉藤先生の信念にも感動しました。
私も祖父母は田川郡川崎町にある小さな炭坑を掘っていました。祖父は採炭による塵肺にて苦しんで亡くなりました。
石炭がこのように日本の美術活動の歴史に残る美術館に姿を変えていたことは、斉藤先生のご講演と著書に出会うまで恥ずかしながら知りませんでした。
上記レポートはかなり簡略しています。
皆様も是非「佐藤慶太郎伝」を熟読されることをおすすめします。
田川をはじめとする炭坑町の方々は、きっと故郷に誇りを持つことでしょう。
石炭が日本初の常設美術館に変わったロマン溢れるお話です。
斉藤先生をはじめ、今回のご講演の実現までご足労いただいた皆様、ありがとうございました。
あをぎり/アイアートレボスタッフ山本






