カテゴリー別アーカイブ: 伝えたいこと

秋の講演会3部作終了

おかげさまであをぎり秋の講演会3部作が終了しました。 第一部:「我がまちの世界遺産・世間遺産」では、講師に藤田洋三先生を迎え、田川や同じ炭坑町の世間遺産や、石灰などについて解説。 第二部:「佐藤慶太郎伝」では、講師に斉藤泰嘉先生を迎え、石炭の神様と言われた佐藤慶太郎について解説。 第三部:「登録有形文化財について」では、講師に藤原恵洋先生を迎え、あをぎりが今年認定を目指して申請した登録有形文化財と、あをぎりの空間的・建築的な解説。  今回の講演は、あをぎりが「登録有形文化財」認定に向けて動き出したこと、あをぎりが建つ筑豊田川市のことを広く知ってもらう為に企画されました。 何気なく生活している我がまちに、スポットを当てれば輝く世間遺産・石炭産業が生んだ功績・そしてあをぎりという建築。  我が炭坑町に自信と誇りを感じる講演会3部作となりました。 また、3部作全てに直方(人力車の生みの親のふるさと)から人力車がやってきて、伊田や後藤寺のまちを駆け抜けました。 講演していただいた先生方、筑前直方人力車の皆様、そしてご来場いただいたお客様、誠にありがとうございました。 あをぎりが登録有形文化財に認定された日には、皆さんでお祝いをしたいものです。

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佐藤慶太郎伝 斉藤泰嘉先生

あをぎり秋の3部作 佐藤慶太郎伝 講師:斉藤泰嘉先生 あをぎり/アイアートレボスタッフレポート あをぎりが国指定の登録有形文化財に手を挙げて、認定に向けて盛り上げる為に企画された本講演会は、今回で2部目。 第一部は藤田洋三先生による「世間遺産」。 大衆文化や庶民の生活の中にある素晴らしい財産にスポットを当てた素晴らしいお話でした。 そして今回の第二部は北九州若松の石炭商「佐藤慶太郎伝」 石炭商?石炭の神様?さて、佐藤慶太郎とはどんな人物だったのでしょうか。 〈北九州は本城生まれ〉 福岡県遠賀郡折尾本城町。現、北九州市八幡西区本城。 大庄屋の家系に生まれ育ったがその生活は貧しく、小学生時代は病弱だったが蝋燭の原料となるハゼの実を拾って集め、病気の母の薬代を稼いだこともあった程。 学業優秀だった慶太郎は、修 館に合格。だが家には払える学費がなかった。しかし親戚中を訪ねて自力で学資を出してもらう約束をとりつけ、勉学に励んだ。 〈石炭との出会い〉 その後、またも資金援助にて上京し、法律家を目指した慶太郎。 健康状態が優れないまま九州へ戻り、ぶらぶらしていた慶太郎に親戚の医者が「理屈じゃなかたい」と方向転換を促した。 意思の忠告と相前後して「若松の山本周太郎という石炭商の店から、番頭のつとまる人を世話して欲しいと頼まれている。どうだ、ひとつ方向を換えて実業に従事してみては」と勧めてくれる人も現れ、佐藤慶太郎はついに肚を決めた。 明治二十五年五月一日、若松第一の石炭を売り捌く石炭商、山本商店の門をくぐった。 〈結婚と誓い〉 山本商店山本周太郎の妻かた子の妹俊子との結婚を勧められた慶太郎は、結婚を承諾した。 十代の頃から山本商店の帳場に座っていつしか店を仕切るようになっていた妻俊子は、慶太郎の先生となり慶太郎を支えた。 新婚の夜、「一つ、楽をしようとは思わないこと。二つ、住居に望みは言わないこと。三つ、給料を目当てに働かないこと。この信念に従って僕は商売に励む。お前さえ僕を信じてくれるなら、必ず大成して見せる」と誓った。 更に給料を辞退した。これは信用と言う無形の財産を築く目的であった。 〈石炭を知る〉 百聞は一見に如かず。商品である石炭を研究しようと、炭坑に脚を運んでは坑内にまでさがった。 「過酷な労働の代償として掘り出された貴重な石炭。そうであれば、ひとかけらも残さずに消費者の手に渡るようにすることこそ石炭商の役割ではないか」信用という財産を築く。佐藤慶太郎を表す言葉の一つであると思う。 〈独立〉 山本商店から独立し、姓も佐藤に戻し、佐藤商店を開業。 その頃、筑豊では下等とされる大隈炭の特徴に目を付けた。 火持は良くないが、瞬時に火力が上がる大隈炭は、捕鯨とつながった。 捕鯨の船は、鯨を発見すると全速力で追尾する。大隈炭は一時的に強く燃え上がり、船に瞬発力を与える。 大隈炭は他の石炭が売れ行き不振の中でも、捕鯨業者からの注文が殺到し採掘が追いつかないほどになった。 佐藤商店は成長を遂げて行った。 〈カーネギーとの出会い〉 東京土産にもらった「立志の師表 成功の模範 カー子ギー」 世界の鉄鋼王と呼ばれたアンドリュー・カーネギーは、貧しい中から身を立てた人物で、後に全米の鉄鋼生産の約半分を占める程の大企業に成長した。実業界を引退したカーネギーは、カーネギーホールに代表されるように社会事業に専念した。 慶太郎はカーネギーを終生尊敬した。 〈炭鉱経営と上京〉 慶太郎四十一歳の時、ついに炭鉱経営に乗り出す。 質量ともに良質の炭層にも当たり、従業員千名を越す炭鉱へと成長した。 全国石炭鉱業連合会結成に向けての動きに際し、上京した際に目にした時事新報。 … 続きを読む

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くじら のお話 「九州筑豊田川・くじら料理」

江戸時代から捕鯨が盛んに行われてきた九州。 長い鯨食の歴史を持ち、鯨との深いつながりがあります。 特に長崎では驚くほど豊かな鯨食の文化が発達しました。 昭和三十年代 近代捕鯨の発祥の地、下関は、 その最盛期を迎えました。 鯨肉の流通加工の拠点としても大いに栄えました。 そして関門海峡対岸の門司と若松の港湾、 八幡の製鉄、筑豊の石炭に従事する人々を中心に 大量の塩鯨が消費されました。 鯨は北部九州の食文化でもありました。 特に筑豊は鯨が身近な食べ物でした。 高温多湿の炭坑内でも変質しにくい塩鯨は、 労働者の塩分補給と貴重なタンパク源でした。 また神幸祭のお供え物として塩鯨が使われていたなど、 筑豊では鯨が暮らしと文化に根付いています。 九州の新鮮で豊富な食材と、 筑豊田川のなつかしい味を活かした、 風味豊かな鯨料理をお楽しみ下さい。

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炭坑の町だから育った独特の食文化 絶品の味

公共放送の使命がそうさせ、それが民間に流行ったためか。 多くの人は炭坑節の歌詞を「三池炭坑の上に」と思っており、歌詞もそう書かれている場合が多い。しかし元来、「三井炭坑」であり、月を煙たがらせた高い煙 突は、田川市石炭歴史博物館の横に、今も見事な姿を見せる。 昔と変わったのは、煙が出なくなったことと、大勢の労働者がいなくなったことである。 黒ダイヤと呼ばれた石炭と、白ダイヤと呼ばれた石灰が、田川の産業だった。 炭坑のそばには、今では緑の山に姿を変えたボタ山ができ、五木寛之が『青春の門』で「異様な山である」と書いた香春岳は、石灰採石のため、山頂が削られて いった。 炭坑や石切場で働く労働者が大半だった田川では、独特の食文化が築かれていく。「塩クジラ」は保存がきく、低価格の海のタンパク質であった。 ギリシャ語で「刺激する」の意のホルマオは変化し、贓物をホルモンと呼ぶようになる。これが方言の「放るもの(捨てるもの)」、つまり、安く手に入るも との通じ合う。ホルモン焼きが最初に食べられたのは、戦後間もない筑豊地方であった。高価な牛肉に手が出にくかった炭坑労働者たちは、好んでホルモンを食 べた。現在、田川では、「田川ホルモンマップ」を発行、店舗が掲載されている。 低カロリーでありながら、ビタミン、鉄分、コラーゲンが豊富なホルモンは、今では女性たちに好まれる食材のひとつだ。 一方、クジラ料理は貴重な食品となった。料亭「あをぎり」では、クジラを活かした懐石料理が人気を呼んでいる。 炭坑は姿を消し、食材はその価値観を時代とともに変えた。 自遊人2006年5月号特別付録保存版より抜粋

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残暑お見舞い申しあげます。

2010年8月の猛暑は地球温暖化の最たる年です。 地球環境の変動と社会事情の変化はどこかで比例しています。 「あをぎり」は自然のサイクルに遵って、 ゆっくり、じっくり安全に。 世の中に取り残されているようで実は案外しっかりグローバルです。 煙突につかまっているバッタは当館HP建物探偵のCGを制作していただいた岩本徹郎さんの作品です。 あをぎり女将

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お石灰蒸 筑豊田川発・お石灰料理

お石灰料理は、地元「田川」で産出される生石灰を使用した、火を使わない「蒸し料理」です。美味しい「水」と「塩」そして新鮮な食材さえあれば出来 るユニークな料理です。食材の旨みが倍増するサプライズ・クッキングとして誕生した、あをぎりの新メニュー「お石灰料理」をどうぞご堪能ください。 筑豊は日本でも有数の石灰の地層をもつ地域です。日本の近代化を支えた官営八幡製鉄所に、筑豊は製鉄に必要な石炭や石灰を供給してきました。石炭は 「黒いダイヤ」石灰は「白いダイヤ」と呼ばれました。石灰はまた伝統的な「漆喰」の材料でもあります。田川には高品質の「漆喰」トップメーカーもありま す。 近代和風建築を継承し活用する「あをぎり」は、 九州田川の歴史と風土に育まれた文化を大切にしています。

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あをぎりの新しいマーク

あをぎりの新しいマークは、プロデューサー、デザイナーの方々とのコンセプトワークを重ね、あをぎりの特徴と良さを今後の活動に活かすようにデザインされ ました。 この新しいマークは、 中国では鳳凰が住む樹とされた、「あをぎり(青桐)」の葉と花を図案化しました。 温暖で豊かな地に成長する、のびやかで艶やかな緑に、 受け継がれる生命力と調和の意味が込められています。 これから、新しいマークを、お知らせの印刷物や、開発商品、インターネット等、 さまざまなものにデザイン展開してまいります。

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2009年12月4日 西日本新聞「街ひと物語」 あをぎり

12月4日 西日本新聞に取材掲載していただきました。 西日本新聞の田川支局のデスクに新しい記者さんが赴任された。福岡県内版に「ミートでミート」という連載枠の取材が「あをぎり」に舞い込んだ。無論、食材「ミート」は当館自慢の料理「くじら」そして、わたくし共、母里館長と女将が紙面で読者と遭遇する・・・、という中々、面白い設定でありました。この記事は、ある意味「あをぎり」と「くじら」の関係そして「くじら」と「筑豊」北部九州一帯の関係を明らかにするお披露目のようなもので大変な反響に驚いている次第です。 読み逃がされた方、どうぞ御目文字くださいませ。 筑豊田川の歴史と鯨のことになると力が入り話が多方面に走り出すのを、 上手に聞き出して記事にしていただきました。ありがとうございました。

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「ザ・リサイクル」第二回国際鉄鋼彫刻シンポジウム-北九州’93

1993年05月〜1994年04月 北九州市で、 市民の集めた100万個の空き缶を材料に、鉄鋼彫刻をつくる 「ザ・リサイクル」第二回国際鉄鋼彫刻シンポジウム’93の記録。 母里聖徳の発想から始まった「国際鉄鋼彫刻シンポジウム」 Web上にある第二回のアーカイブをご紹介します。 母里の行う「街の個性を生かす」美術活動を代表するものの一つです。 http://www.fontic.co.jp/recycling/index.html

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